外国人先生には日本式の義理と人情は通じない?

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英語の先生

契約がある外国人先生にどうやってお願いするのか?

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【インターナショナル幼稚園編 STORY 06】

お読みいただく前に…

これは30年以上前の話です。社会情勢や法律など、現代と大きく異なっています。今では考えられない出来事もありますが、そんな時代もあったのかと広い心でご覧いただければ幸いです。

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外国人先生には、断られるのをわかっていても頼むしかない

年間最大のイベントは10月のスポーツフェスティバル

 明るい気分で迎えた2学期は、運動会(スポーツフェスティバル)の練習からスタートです。以前から週に1度、体操の授業を取り入れていたので、体操の先生が大枠のプログラムを作成。私が園児の状況に合わせ、細かな部分を肉付けすることになりました。2歳児は親子競技、年少児はダンス、年長クラスはパラバルーンがメインの種目に決まりました。

 開催日は10月中旬。練習も準備も急がなければ間に合いません。何に苦労したかは次に書きますが、園最大のイベントの準備で、とにかく大変な思いをすることになるのです。

苦労話の1つ目は、外国人先生に競技を覚えてもらうこと

 外国人先生は日本の運動会を知りません。ラフィとベスに至っては見たことさえないのです。今のようにYouTubeでもあれば簡単ですが、当時は他の園からビデオを借りるくらいしかありません。日本語となれば、通訳も必要です。たまたま取材を受けるために来ていたアダム園長に通訳をお任せし、日本の運動会の様子を知ってもらうことはできました。しかし1度ビデオを視聴したくらいでは何の役にも立ちません。私の苦労はまだまだ続きます。

 1番大変だったのは、パラバルーンでした。ラフィは覚えられない。というか、覚える気がありません。どれほど説明し見本を見せても、園児の動きに合わせられないのです。リズムにも乗れません。1週間つきっきりで練習しましたが、どうにもなりませんでした。園児と担任が一緒に演技することは諦め、ベスと私が代役を務めることで落ち着きました。自分が覚えないことを棚に上げ、不快な表情をあらわにするラフィ。当時は呆れ果て、声をかける気にもなりませんでした。しばらく不機嫌だったラフィも、保護者と先生対抗のリレーでアンカーを任せることが決まると、たちまち元気になるのです。

次の苦労は理事長の気まぐれ、なぜもっと早く言ってくれないの?

 突然「園児全員に帽子を被らせる」と提案した理事長。クラスごとにカラー帽を購入してもらっているにもかかわらず、別の帽子を被らせたいと言うのです。理事長から見せられたチラシには海外の兵隊さんが被るような帽子が写っていました。購入するのかと思いきや「予算がないから無理」とバッサリ。そして私に園児全員分の帽子を手作りするように命じたのです。型紙から作らざるを得ませんでした。背の高い帽子ですから、普通の画用紙ではしなってしまいます。結局厚紙を使ったものの、切るだけで一苦労。はさみダコとでも言うのでしょうか。指はボコボコ、おまけに腕も筋肉痛になってしまいました。

 園児の数は約80名。予備を含めると最低90個は必要です。日中は練習で疲れ果て、園児が帰れば製作が待っています。手伝ってくれるのは百合さんだけでした。もっと早くに提案してくれれば、園児のいない夏休みから準備することができたのに。理事長の気まぐれに腹を立てながら、連日終電まで作業を続けました。

理事長は手作りがお好き? 苦労は続くよ、どこまでも

 毎夜遅くまで作業を続け、ようやく帽子作りに終わりが見えてきた頃、またもや理事長が爆弾を投げてきました。園の入り口に立てる装飾がほしいと。ちょっとした看板ではありません。入り口の幅いっぱいにアーチを作りたいと言い、大きなベニヤ板6枚分の大作を申しつけられました。ベニヤ板に下書きするのは私、文字と絵の両方です。それが終われば、運転手坂田さんの出番。ノコギリで下書き通りに切り落とし、最後はペンキで塗装します。日頃から着けていたエプロンはペンキ屋さんの作業着のようになりました。

あまりの忙しさに七転八倒。とうとう外国人先生に助けを求める

 運動会まで残すところ数日。帽子の製作や入り口の装飾も目処が立ってきました。しかしここにきて問題が発生。帽子のサイズに少しずつ誤差が生じていたようで、園児に試してみると、大きすぎたり小さすぎたり。このまま当日を迎えるわけにはいきません。90個全てを確認し、修正するとなると百合さんと2人だけでは到底間に合わないでしょう。ついに外国人先生に助けを求めることにしました。

 ラフィは予想通り「残業は契約外だから」という返事。力を貸してくれるかもと期待していたベスには、デートがあるからと断られました。一緒に働く職員がこんなに非協力的でいいのかと憤慨したところで、どうすることもできません。

 最後の望みはトニーです。涙を流す勢いで頼む私に同情したのでしょう。時間の制限はありましたが、作業を手伝ってくれることになりました。これをきっかけに信頼関係を築きはじめたトニーと私。のちに彼は、誰よりも私を助けてくれる存在となるのです。

運動会は大成功! 保護者の言葉で今までの苦労が吹っ飛ぶ

 運動会当日は快晴。早朝6時から園庭を万国旗で飾り、苦心作の看板で門に装飾を施しました。園児にプレゼントする大きな風船は100個も膨らまさなければなりません。音響を確認しマイクを調整。受付の準備を終えると、開会時間ギリギリでした。

 ちょっと恥ずかしそうに登園してくる園児たち。例の帽子を頭に乗せて、教室で待機しています。ファンファーレが鳴りいよいよ入場の瞬間。1人目がトラックに入ると、保護者席から一斉に「わー」「可愛い」という声が上がりました。帽子についての感想も聞こえてきます。その声でこれまでの疲れが一気に吹き飛び、涙が溢れてきました。頑張って良かったと心の底から思ったものです。

 心配していたパラバルーンもダンスも見事に披露できました。最後に残すのは、保護者と職員対抗のリレーのみ。あまりに狭いトラックで華麗な転倒を見せた私ですが、痛みを感じないほど高揚していたのだと思います。翌日には立派なアザになっていました。あれほど準備に時間をかけた運動会も、あっという間に終了です。日曜日だったので、外国人先生はすぐに退勤ですね。一瞬イラっとしたものの、その日の私は寛大でした。頑張りを認めてもらえたのが、本当に嬉しかったのです。大変なはずの後片付けも、全く苦にならず。その日の出来事を思い返しながら足取り軽く家路に着きました。

続く

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「英検2級の実力しかない私が、20年以上英語教育に携わってきた話」は主人公である高山杏の体験をもとにしたフィクションです。実在の人物、設定は架空のものです。

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