悟りをひらくとは、無数を感知する識別能力だ

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悟りとは

悟りをひらくという言葉があります。心の迷いがなくなり真理を会得するという意味です。もともとは仏教の教えから生まれた言葉で、解脱するとも言われています。

悟るという意味は、理解する、見抜く、感づくなどです。物事が見える、あるいは感じる範囲で網羅的に理解している状態といえましょう。つまり、悟りをひらくとは、悟ったのちに続く心の姿です。

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悟りを得るには4つの段階がある

本人が意識する、意識しないは別として、悟りを開いている人は、数限りなく存在しています。それは、悟りを開く瞬間といえるかも知れません(仏教でいう悟りとは異なる場合もあるでしょう)。

まず、悟りを得るには4つのプロセスを経るのが一般的です。それは、理解する、気づく、見える、分かるです。それぞれを簡単ではありますが説明します。

万人が受け入れている「理解する」段階

理解するとは、文字通り、いろんな成り立ち、在りようを心にとめることです。私は学生だ、私はサラリーマンだ、あなたはギタリストだ、冬は寒い、お腹が減るとイライラする、宇宙には相対性理論がある、明日は仕事をしなければならない、などです。簡単にいえば、何か外的な基準があり、それによって分別することです。脳の幻想的作用です。

私の父は偉い政治家だ(理解している状態)。だから私の言うこともあなたは聞くべきだ。私の家系は代々医者で裕福でたんまりお金がある(理解している状態)。だから私は働かなくてもいいはずだ。私の家は貧しい(理解している状態)。だから私は大学へ行かずに働こう。私は人と同調することはできない(理解している状態)。だから私は一人で楽しむことが好きだ。

人は理解にもとづき、さまざまなことを思い、行動します。何らかの理解をしているので、この段階はほとんどの人があてはまります。

人生の中で時々訪れる「気づく」段階

気づきを得るという言葉があります。映画を見たり、小説を読んだり、人の話を聞いたりして、それまで自分の中にはなかった感情や感覚、あるいは事実を得ることです。

私が、最初に気づきを得たのは二十歳のときでした。母親を早くに亡くした私は、女性とうまく付き合うことができず、また人間関係にも悩んでいました。自分本位の考えに執着している状態だったのです。

そんな悶々とした日を過ごす中で、ある人に相談します。「自分は、母親を早くに亡くし、愛情を知らずに育ったので、どうやら人と何かが違う。人並みに幸せになることなどできないでしょう」と。

そのときに言われたのが「あなたは、どう思っているかわからないけれど、幼い子供を残してなくなろうとしている母親はどんな気持ちだったでしょうね」という言葉でした。

その時に頭を打ちのめされた気がしました。私は自分自身のことしか考えていなかったからです。そもそも、視点が間違っていたのです。

それが、私の最初の気づきでした。気づきを得ることで、人は大きく変わります。一つ気づきを得ると、いろいろなことで気づきを得やすくなります。

認識力が研ぎ澄まされる「見える」段階

見えるとは、空間や事象、時間の認識力がとても高くなる状態です。誰でも何らかの経験があるのではないでしょうか。初めてすることでも、なぜかうまくできてしまう。時間的に無理だと思っていたことでも、想像よりはるかに早く終えることなどがそれにあたります。

相手の手の内が見えるというのも見える段階だといえます。私は、その昔、麻雀をよくしていたのですが、麻雀では「見える」状態が結構発生します。この配牌は、こう変化するのではないか?と仮定して進めると、ほとんどその通りになる状態です。

見えるためには理解して、その本質に気づかなければなりません。見えるとは本来そういう状態です。仮定を映像化するまでなれば、予知能力といえるでしょうし、感知能力が高くなれば人間離れした動きもできます。

その昔、あるプロ野球のホームランバッターが「ボールが止まってみえる」と言ったことがあると聞きますが、動体視力に働いているなら、それが見えるになるでしょう。

でも悟りにおける見えるとは、自分の心の状態を見通すことです。自分の心がすけて見通せるので、何をするにも恐れず、発言したり、行動したりできます。これをさらに高めれば、相対する人が見えるようになります。

自分のするべきことが「分かる」段階

分かるは、言葉の上では理解と同じ意味ですが、実は、全く異なります。よく、本質が大事といわれます。ビジネスではインサイトを考えてプランを作るなどとも表現されます。

この段階の分かるとは、見える能力を駆使して、本質やインサイトの素を超感覚的にとらえることです。物質的にいえば、鉄の塊をみて、それを構築している原子はどのように動いているのか?を見極めるスキルのことです。

宇宙的な成り立ちと相対して物事を捉える能力といえるでしょう。実は、これは自然運行による事象で、多くの人が実践しています。人は冬になると暖をとる、腹が減るから飯を食べるなど、ごく当たり前にする活動です。しかし、人は、なぜ暖をとるのでしょうか。それの答えが明確に出せるなら、それが分かるという段階です。

エンジニアやビジネスマンの方は、ときに分かるに基づいて、発明をしたり、ゲームチェンジャーになったりしていますね。

悟りを開くには5つめの段階がある

悟りを得るには、4つのプロセスがあることを説明しました。悟りを得ると、悟りを開くでは意味が異なります。5つめの段階は「動く」であるかと考えています。これは完全なる自己解放であり、宇宙と一体化した動きであることを理解し、その通りに為すことではないかと想像しています。

悟りを得るメリットとデメリット

人間社会で暮らすことを条件にするなら、悟りを得ることでのメリットとデメリットが発生します。それは相対性の有無です。こころが安定しているので、相対的な事象に左右されないというメリットがあります。年齢、社会的地位、物質的な豊かさ、知性・教養、経験などといったものを自己と相対化しないので、誰とでも平等に接することができます。

デメリットは、そうした相対的なものがない、あるいは少ないことで、社会的な発言力がなくなったり、社会生活が困難になる場合があることです。もっとも悟りは常に全開にすることなく、その時々に応じて使い分ければ、現代社会の利点を甘受しながらも、幸せに暮らすことができます。

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