好きな仕事は人生を楽しくする!英検2級でも英語の先生になれた!

女性のスキルアップ
ライフストーリー杏
ライフスストリーアンのダイジェストです

物語の序章に代えて 高山 杏(たかやま あん)

みなさんはじめまして。「英検2級の実力しかない私が、20年以上英語教育に携わってきた話」を執筆している高山杏です。ここでは、私のプロフィールをまとめています。現在に至るまでの流れを全て書いていますので「英検2級の実力しかない私が、20年以上英語教育に携わってきた話」のネタバレも含んでいます。

幼稚園の先生になる夢を叶えるために短大に進学。初等教育を専攻。

幼稚園時代の先生が好きすぎて、小学校へ入学する頃には幼稚園の先生になると決めていた私。幼少中とつつがなく過ごし、進学したのは公立高校の普通科でした。高校生になっても幼少期からの夢は変わらず、卒業後の進路は「初等教育」の一択。昭和60年当時、幼児教育関係の就職率がもっとも高かった地元の某短大を受験することを決めました。入学後は実技中心の授業で実践力を身につけ、2度の教育実習を経験。意気揚々と就職試験に臨むも結果は惨敗でした。就職氷河期ということもあり、友人たちが一般企業へとシフトチェンジしていくなか、私は諦めず幼稚園教諭への道を探し続けたのです。

初めての就職先はインターナショナル幼稚園

卒業まで3ヶ月をきった頃、同じ道を志す友人から渡されたのは、翌春開園予定のインターナショナル幼稚園のチラシでした。園児を募集するチラシの片隅に「幼稚園教諭急募」の文字が踊っています。本格的に英語を勉強していなかったものの英語は大好き。短大時代には2週間ほど海外留学も経験しています。「もうここしかない!」という気持ちで、迷うことなく履歴書を送りました。試験と面接を経て、1週間後に届いたのはまさかの採用通知。インターナショナル幼稚園で社会人の第一歩を踏み出すことになったのです。

七転八倒を経て幼稚園を3年で退職。傷心のままアメリカへ1人旅

幼稚園での生活は多忙を極め、心身が悲鳴をあげました。その結果体調不良で退職を余儀なくされます。夢も希望もなくした私は、全く別の道を探すことにしました。再び子どもと関わる仕事に就けば、残してきた園児たちを思い出すからと幼児教育に携わることを諦めたのです。しかし、気持ちを切り替えるのは容易ではありません。じっくり自分を見つめ直してみようと、旅に出ることを決めました。渡航先に選んだのはアメリカです。6ヶ月間のオープンチケットを片手に、ニューヨークのJFK空港へ。そこを拠点にルイジアナやセントルイスなど友人知人を訪ね歩きました。アメリカでの生活は刺激的で日本とは考え方も大きく異なります。文化の違いを肌で感じ、永住したいとまで思ったものの、チケットの有効期限が間近となり、帰国の途についたのでした。

帰国後は一般企業へ。習得した英語力は輸入事務の仕事で発揮

以前の職場で自然と身についた英語力に加え、アメリカ1人旅の経験は私に大きな自信を与えてくれました。せっかく習得した英語力を生かせる場所はないかと考え、次の就職先に選んだのは商社です。幸い最初に試験を受けた中堅企業に採用され、輸入部に配属が決まりました。私の所属する輸入部1課は雑貨や家具を買い付ける輸入業務を担っています。そこでの4年間はビジネス英語に苦戦する毎日でした。英文タイプの技能も必須だったため、仕事帰りは教室通い。当時はメールが浸透しておらず、海外とのやりとりの大半はファックスかテレックスでした。文字数によって通信料が変わるので、略語を覚えなければなりません。海外からのお客様を接待したり、観光地をガイドしたりと外国人とも気軽に触れ合える環境で、英語だけでなく会社員の在り方も学ぶことができました。

寿退社で永久就職。専業主婦に収まりきれない私の苦悩

当時は寿退社が当たり前の時代。産休や育休なんてありません。私も結婚を機に、退職することになりました。専業主婦からやがて2児の母となり、家事や育児に慌ただしく毎日。でもなぜか心は満たされません。働きたいという思いが抑えきれなかったのだと思います。しぶる夫を説き伏せ、勤めたのは幼児と小学生を教える学習教室、週に2回のパート勤務からスタートしました。あれほど敬遠していた教育業界に戻ることになったのです。子どもたちを触れ合う時間は楽しく有意義で、まさに私は水を得た魚。もっと働きたいという気持ちが募っていきました。

ダブルワークではじめた仕事。気づけば主任、そして園長代理に

週2回の勤務では飽き足らず、ダブルワークを考えるように。読み漁っていた求人誌でもハローワークでも気になるのはやはり教育関係でした。そのなかに見つけたのは開園して間もないインターナショナル幼稚園。最初に勤めた幼稚園があまりに有名だったことから、履歴書の経歴を見ただけで即採用が決まりました。ここではネイティブと日本人がペアで1つのクラスを担当します。パート勤務からすぐ正社員に転向。最年長の経験者ということで、留守がちな園長に代わり保護者の対応をするようになり、肩書きも主任から園長代理に。担任の業務に付随して日々増えていく仕事。目が回るほどの忙しさで体重はみるみる減少します。誰が見てもオーバーワークだったのでしょう。とうとう家族に仕事を辞めるよう言われてしまいました。

オーバーワークで9キロ減。再び専業主婦に戻る

2つめのインターナショナル幼稚園に勤めたのは4年半。最後の4ヶ月で体重は9キロ減りました。仕事をするだけでダイエットができたと喜んでいましたが、周りは重い病に侵されているのではないかと心配していたそうです。猫の手も借りたいほどの忙しさから一転し、再び専業主婦に。あまりの脱力感に何をする気も起こらず、働いていた頃より家事もおろそかになります。そんな無気力な私を見るに見かねたのでしょう。息子に働くよう勧められ、悩んだ挙句、歯科医院の受付で仕事を再開することにしました。

新たな仕事は英語教室。私の英語力を買いかぶり?

働きはじめてすぐ、新しい仕事の話がありました。声をかけてくれたのは、ママ友です。新規オープンする英語教室のスタッフに加わってほしいというのです。インターナショナル幼稚園での経験はあるものの、私の英語力は英検2級程度。英語教室となれば、高い英語力が必須でしょう。しかし、オーナーが求めているのは英語力ではなく経験だというのです。それならできるかもしれない。単純な私はそう思い、英語教室のオープンに向けて走り出しました。

歯科医院と英語教室、アフタースクールのトリプルワーク

その頃生活に大きな変化があり、収入を増やす必要が出てきました。慣れたばかりの2つの仕事は辞めたくありません。それならもう1つ増やせばいいと、新たに立ち上げが決まっていた学童保育のスタッフとして働くことを決めました。3つの仕事の掛け持ちを容易ではありません。特に学童保育は、長期休暇により勤務時間が大幅に変わるのです。毎週の仕事を管理しながらシフトを調整。それに加え家事や育児と、今考えても大変な生活ですが、当時の私は忙しすぎるのを嬉しいとさえ思ったものです。

トリプルワークから5年。初めてお金のために仕事を選ぶ

毎日楽しくトリプルワークをこなしていましたが、金銭面で立ち行かず、正社員で働くことを決意しました。これまでさまざまな職に就きましたが、給料の多少で職場を選んだことはありません。でも今回だけはどうにもならず、生まれて初めてお金のために働くことを決めました。明日からでも働けること、正社員で雇ってもらうこと、給与待遇、その3つだけで選んだ先は、英語なんて全く関係のない民間保育園でした。アラフィフで飛び込む未知の世界に不安を覚えながら、保育士として働くことになったのです。

新たな問題は英語教室。大好きな仕事なので辞めたくない

フルタイムで働けば、英語教室で働くことは不可能だと辞めることを決意します。辞意を伝えるも返ってきたのは「やめないで」という言葉でした。大好きな仕事ですから、もちろん私も辞めたくありません。残された道は1つ、保育園での勤務時間を調整することです。勤務先の保育園はダブルワークが認められていたので、レッスン日のみ勤務時間を前倒ししてもらおうと園長先生に掛け合います。結果、レッスン日は早朝6時半から15時半の勤務。英語教室の開始時刻は16時半だったので、なんとか続けられることになりました。

三たび体調を崩し保育園を退職。そして現在…

保育園での仕事は想像以上の激務で、私は三たび体調を崩します。たった3ヶ月で11キロ減。お金のためにと頑張っていたものの、我が子が独り立ちしたことを機に緊張の糸が切れ退職。もう英語教室の仕事しか残っていません。開校と同時に働きはじめたので、もう10年以上になります。心にゆとりがなければ、どの仕事も疎かになることに気づき、英語教室に専念することにしました。しかし根が貧乏性ですから「時は金なり」という思いが強く、また働きたくなるのです。その後ご縁あって就職したのがこの職場。新人ライターとして新たな一歩を踏み出すことになりました。英語教室の指導者とライターが現在の私の仕事です。この先どうなるのか想像もつきませんが、10年後も楽しく働いていると信じています。

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