リーダーのタイプは組織で異なる!球界の名将に学ぶ組織別リーダーシップ

仕事のスキルアップ
リーダーのタイプは組織で異なる

球界の名将に学ぶ組織別リーダーシップのあり方

はじめに

リーダーや管理職の役割について悩んでいる人は多いのではないでしょうか。チームが携わる業務の進捗管理やメンバーの育成など、チーム全体に目を配らなければならないため、管理職としての働き方そのものがわからないという人もいるでしょう。そこで今回や名将と謳われた5人の野球監督から、組織のタイプ別に必要なリーダーシップを紹介します。

モチベーションが高い組織のリーダー

モチベーションが高い組織のリーダー
スタンドプレーに走りかねないチームは厳しい規律でまとめる

親分と慕われた鶴岡一人氏

1人目は、日本を代表する名監督である鶴岡一人氏です。南海ホークス(現 福岡ソフトバンク・ホークス)で1946年〜1968年まで監督を務め、歴代1位となる通算1773勝を記録。通算勝率でも歴代監督の中で唯一6割を越え、.609をマークしています。

愛称は「鶴岡親分」。プロ意識を持たせるために若手選手に言った「グラウンドには銭が落ちている」という台詞も、野球史に残る名言として知られています。

厳しい規律と目に見える報酬で選手を動かす

鶴岡氏が率いた南海ホークスは血気盛んな組織といえます。江夏豊氏を筆頭に野村克也氏、柏原純一氏など、古き良きパ・リーグを体現する選手が大勢在籍していました。会社で例えるなら、それぞれが「自分が一番だ」と思っている花形営業部でしょうか。ともすればスタンドプレーに走りかねないチームを、鶴岡監督は軍隊式ともいわれた厳しい規律でまとめあげました。

選手をめったに褒めないというやり方は、一部から反発を招きます。しかし、「親分」と呼ばれたように多くの選手が鶴岡氏を慕ったのです。その理由は、働いた選手にはしっかりと報酬を用意した点にあるでしょう。「グラウンドには銭が落ちている」と選手にハッパをかけた鶴岡氏は、報酬という目に見える形で選手を動かすことで常勝軍団をつくりあげたのでした。

個性派揃いの集団をまとめるリーダー

個性派揃いの集団をまとめるリーダー
個性をいかんなく発揮させることで、組織力を最大化する

マジシャンと呼ばれた仰木彬氏

2人目の仰木彬氏は、1980年代から1990年代を代表する監督です。近鉄バファローズで指揮を取った1988年は、「10.19」と呼ばれる名勝負で野球史に名を刻み、オリックス・ブルーウェーブで監督を務めた1995年には、阪神淡路大震災の復興スローガン「がんばろうKOBE」を胸にリーグ優勝。翌1996年には日本一にチームを導きました。

選手の個性や調子を重視し、時にはビールの早飲み対決でメンバーを決めるなど、セオリー度外視の方法でチームを勝たせる采配は「仰木マジック」と呼ばれます。近鉄時代は「野武士軍団」と呼ばれた豪快な選手たちを、オリックス時代は後にメジャーリーグで活躍するイチローや田口など才能あふれる選手たちを率いた仰木氏。いずれも、「個の強いチーム」といえます。

個性を伸ばして組織力を最大化

組織力を最大化させるには、個々のベクトルをひとつに揃えることが必要です。しかし、無理に行うと、大きな反発を招くかもしれません。そこで仰木氏は、近鉄、オリックスという個性派集団を放任主義でまとめあげました。

否定的な意見が多かったイチローの振り子打法を容認するなど、個性を尊重する手法で選手との信頼関係を築きます。また、失敗してもすぐに挽回のチャンスを与える起用法も、選手にミスを恐れない勇気を持たせました。せっかくの個性をいかんなく発揮させることで、組織力を最大化させたのです。

ポテンシャルを発揮できない組織のリーダー

ポテンシャルを発揮できない組織のリーダー
適材適所の人材配置と、理論に裏打ちされた具体的な指示が必要

考える野球を広めた野村克也氏

「王や長嶋はヒマワリ、私は月見草」と言った野村克也氏ですが、選手そして監督としての功績や、ONに劣りません。監督としてのハイライトは、ヤクルト・スワローズ時代でしょう。1979年からBクラスが定位置だったチームを就任3年目の1992年にリーグ優勝、翌年には日本一に導きました。

ポジションの配置転換などでベテラン選手を復活させる手法は「野村再生工場」と謳われ、緻密な計算に基づく采配は、「ID(Important Data)野球」として、経験則で語られることの多かった野球界に多大な変化をもたらしました。

適材適所とロジカルなマネジメントでブレイクスルー

この当時のヤクルトは、結果は出ていないがポテンシャルは高い組織といえます。野村氏の監督就任まで11年連続でBクラスに低迷していましたが、池山選手と広沢選手がベストナインに選出されるなど、戦力に不足はありませんでした。

そこで野村氏は、選手のポテンシャルを引き出すために大胆なポジションのコンバートを行います。また、経験の浅い若手選手が多かったことから、毎日数時間に及ぶミーティングも実施。

自分の考えや選手個々の役割などを徹底的に叩き込むことで、選手たちも納得して練習や試合に臨めるようになりました。適材適所の人材配置と、理論に裏打ちされた具体的な指示。それがポテンシャルを開花させ、低迷する組織にブレイクスルーを引き起こしたのです。

育成が求められる組織のリーダー

育成が求められる組織のリーダー
メンバー個々の将来性を考えて指導する

甲子園の常勝チームをつくった中村順司氏

4人目に取り上げるのは、高校野球の名伯楽、中村順司氏です。PL学園高校野球部で1976年から1998年まで指揮を取り、春夏甲子園大会で計6度の優勝、通算58勝をマークしました。桑田、清原を筆頭に、一流選手の育成に定評のある監督ですが、指導方針の根底にあるのは、「野球を長く楽しんでもらいたい」という思い。また、上級生と下級生で師弟関係を結ばせるなど、世代間の技術伝達も促進しました。

リーダーに求められるのはメンバーの将来性を考えた指導

高校野球部は、まさに若手中心の組織といえるでしょう。この組織のリーダーに求められるのは、「育成」と「結果」の2つ。とはいえ、目の前の結果を追い求めて選手をビシバシ育てる方法はおすすめできません。まだ経験の浅い選手は1度の失敗でも落ち込みやすく、途中でリタイアしてしまう可能性が高いからです。

会社における人材育成とは、将来を通して長く自社に貢献できる人材を育てること。つまり、メンバー個々の将来性を考えて指導するリーダーシップが重要なのです。中村氏の「野球を長く楽しんでもらいたい」という指導方針がなければ、常勝PLも生まれなかったに違いありません。

モチベーションが低い組織を立て直すリーダー

モチベーションが低い組織を立て直すリーダー
まずは態度で心を揺さぶらせることが、モチベーションアップに

暗黒チームを戦える組織につくり変えた中畑清氏

最後を飾るのは中畑清氏です。2012年から2015年まで横浜DeNAベイスターズで指揮を取りました。4年間で最高順位は6チーム中5位と目立った成績は残せていません。しかし、監督就任までの10年間で最下位が8回。選手、首脳陣、フロントの確執や癒着も慢性化し、まさに暗黒時代まっただ中だったチームを戦える組織につくり変えてくれたと、現在もファンの間で評価されています。

自らも泥にまみれ、メンバーの心を揺らぶらせる

モチベーションが低い組織を率いるほど難しいことはありません。中畑氏が監督に就任する前の横浜は、外部の選手や解説者から向上心の低さが指摘されるほど泥沼状態にあるチームでした。その組織を立て直すにはどうすべきなのか。

中畑氏が取った行動は、選手と一緒に泥にまみれることでした。練習中も自らノックを打ち、選手と共にユニフォームを汚す。戦う姿勢を自分から見せることで、チームにファイティングスピリッツを植え付けたのです。

やる気がない部下に対し、言葉で何かを伝えようとしても、なかなか聞いてもらえないもの。まずは態度で心を揺さぶらせることが、モチベーションが低い組織のリーダーの役割でしょう。

おわりに

今回は野球を題材にしましたが、成果を挙げている人には必ず何らかの理由があります。悩みを抱えた際は、違うジャンルで活躍する人をじっくり観察してみましょう。大きなヒントを得られるかもしれません。

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