行間を読む方法とは?精読や乱読も有効

行間の読み方

行間を読むとは、小説や随筆などで、文章に表現されていない作者の意図をくみとることです。作者の真意を理解するともいえるでしょう。余白を読むとも表現されています。

行間が読めるようになれば、読書がより面白くなるだけでなく、洞察力なども高まるとされています。

行間を読むという表現に初めて出会った人は「行間が読めるようになりたいものだ」と思うかもしれません。本原稿では行間の読み方と考え方について記しています。

同じ小説家の本をたくさん読んでハマる

行間を読む方法として、まずあげられるのは同じ小説家の本をたくさん読むことです。逆説的にいえば好きな作家、小説家の作品にハマることです。いくつも本を書いている小説家でも、根底に流れるテーマは同じである場合が少なくありません。

特定の作家のファンになるのは、そうしたテーマや世界観に共鳴、共感することがあるからでしょう。登場する人物の気持ちが痛いほどわかったり、逆にもどかしく感じたりする時点で、行間を読まずとも、行間にハマっている状態かもしれません。

そうした行間にハマっている時になぜ、自分はこうもハマるのだろう? と客観的に考えてみるのです。そうすると小説家の意図が見えてくるのではないでしょうか。「あ、そういうことか!」と気づけば行間の面白さといえます。

同じジャンルの本を乱読してプチ批評する

ミステリーならミステリー、恋愛なら恋愛と、同じジャンルの本を乱読するのも行間を読むコツが見つかります。小説家によって表現方法や対象が異なるので、意識、無意識に限らずどこかで比べながら読み進めます。

そうした違いを見つけることで、それぞれの作品の趣に気づくことができます。ただ、気づくといっても、やはりそこには意識化することが必要です。

Aという作家はいつも期待を裏切ってくれる。Bという作家は、予想通りの展開でそれも楽しみなど、自分の考えを軸としてプチ批評してみるのです。それを繰り返すことで読書の軸ができてきます。

自分の考えと後書きや書評を比べるのもいいでしょう。ちなみに書評は絶対というものではありません。これも客観的にそうなんだろうか? と考えてみるのもいいでしょう。

乱読とは、あまり良い意味では使われませんが、同じジャンルに限れば、比較や検証がしやすいですし、そのジャンルの知識も広く、深くなります。

精読とは何度も読み返して行間に気づくこと

精読とは一文、一句逃さず丁寧に読み進めることです。本を読んでいてわからない言葉が出てきたらその都度辞書を調べて、読み進めます。

英語の勉強など、なんらかの学識を得るために精読することが多いといえるかもしれません。哲学書や歴史的に古い本なども知らず知らずのうちに精読になることもあるでしょう。

文や句の意味をひとつひとつすくうように読むと意味の理解が進みます。しかし、それは文章の意味であって、意図ではありません。精読は達成感があるのですが、個人的感想でいえば、なれないと非常に疲れます。

人は言葉の意味を誤って解釈していることが少なくありません。例えば、今でこそ「こだわりがある」といえば、良い意味で捉えられますが、もともとは物事に拘泥したり、取り憑かれれたりするような偏狭な意味合いで使われていました。

自分なりに解釈している意味もあるでしょう。一度精読すると少なくとも意味の取り違えはなくなります。そこから何度も読み返してみるのです。そうすると最初に読んだ時と違った意味の捉え方をする場合があります。

捉え方の意味が変わると、それも行間を読む1つの方法であることに気づきます。

報道番組の行間を読む

局の見解や解説を交えて専門的に内容を詳しく放送する報道番組があります。放送は報道などで偏りがないように法令で定められているので、一見すると偏りがないようにみられますが、視聴後感によって、報道の意図に気づくことがあります。

報道見解をそのまま受け入れるのか、自分自身で反芻して考え直すのか考える必要があります。番組は本ではありませんが、映像で流れる情報を考える間もなく消化するだけでなく、本当のことは何だろう?と考えるのです。

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